【女鬼】
「ちゃん、入るよ?」
「!?ふぁめれす!!」
(…ふぁめれす?)
襖越しに声を掛け、妙に焦った声で返って来た返事を頭の中で繰り返して首を傾げたが、深く考えずに総司は襖に手をかけた。
そして開いた部屋の中の光景に、その場に立ち尽くす。
怪我をした左腕の手当てをしていたらしく、上着を脱いで包帯の端を咥え、右手に包帯を持っているの姿。
は総司が襖を開けた事に驚き、咥えていた包帯と手にしていた包帯を離し、自分の横に置いていた上着を掴んで胸元を隠す。
「…な、何で開けるんですか!」
さらしを巻いているので胸が露わになる事はないが、それでも顔を赤く染め上げて総司を睨み上げる姿に、悪戯心がムクムクと湧き上がる。
「入るよって声かけて、返事が聞こえたから?」
疑問系で答えながら、総司は部屋の中へと足を踏み入れ、襖を閉める。
「ダメですって言ったじゃないですか!」
「『ふぁめれす』なら聞こえたけど?」
「!!それは包帯を咥えてたから…」
「うん、そうみたいだね。」
総司は畳の上に転がった包帯を拾い上げ、は総司の視線が自分から外れているその隙に上着を着てしまおうと、胸元を隠したまま服の裾を探るが、その手首を総司は掴む。
何かを言いたげな視線を無視し、総司はそっと笑みを浮かべる。
「手当て、してあげるよ。」と。
「自分でできますから。」
総司に掴まれた手を引くが、の手首を掴む総司の力は強くなる。
「さっさとやっちゃわないと、他に誰か来たら困るでしょ?それがキミが女の子だって知ってる幹部ならともかく、知らない隊士だったら大事件だよ?」
「………………………」
先刻まで自分の勝手な行動を取って土方に叱られていたばかりだというのに、また騒ぎを起こすわけにはいかない。
ぐっと押し黙ったを見て、総司は目を細め、掴んでいた手首を開放した。
がほっとした、その瞬間。
「ッ…!」
総司の手は怪我した箇所、左腕の肩の少し下を掴み、は痛みにビクリと身体を震わせた。
「どうしたの?…あぁ、ごめんね。怪我してる場所、掴んじゃったね。」
大して悪びれもせず、総司は腕を掴んだ手の親指で、撫でるように傷口に触れながら続ける。
「利き腕だし、自分で包帯巻くには不便な場所だよね。」
はぐっと歯を噛締めて総司を睨むが、総司はそれを楽しそうに見ているだけ。
「…あんまり意地張ってると、爪、たてちゃうかもしれないよ?」
薄っすらと貼った瘡蓋を爪で軽く引っかくと、プツリと血の球が白い肌に浮き上がった。
「手当て、していいよね?」
薄く笑う総司に、抵抗しても無駄な事を悟った
は、項垂れて「はい」と頷く。
「じゃぁ、お願いしますは?」
「はい!?」
「だから。人に物を頼む時は、お願いします、でしょ?」
楽しそうに言う総司に言葉を失うが、総司が傷口から手を離さない事を悟り、観念して口を開いた。
「………お願いします…。」
心底不本意そうに言ったのだが、言い方は特に気にしないらしく、「よくできました」と満足そうに笑った。
総司は先ほど自分が爪を立てた傷口に、消毒用の軟膏を塗りながら薬箱の横に置かれた湯飲みと薬にちらりと目をやる。
「あれ。どうしたの?」
総司の視線を追い、それが飲み薬を差している事を悟る。
「薬箱を借りに行った時に、山崎さんから受け取りました。土方さんが私にって山崎さんに渡してくださったみたいで。」
後でお礼言わないといけませんね、と続けた。
総司は傷口に当て布をし、包帯を巻いていく。
「もしかして飲む気?」
「?はい、せっかくなので。」
さも当たり前のようには頷く。
「石田散薬って、効かない事で有名だけど?」
「そうなんですか?斎藤さんは『それを飲んで治らない怪我などない』とおっしゃってましたよ?」
「一君と山崎君は土方さんの信者だからね。」
総司の言葉に
は成る程、といった表情を浮かべ、開いている右腕を伸ばしてお盆の上に石田散薬を少し出す。
お盆の上に出した粉の上に手を翳し、小さく何かを呟くと、粉が微かに発光し、が手を翳すのを止めたと同時に発光も消える。
「牛額草ですね。これは…黒焼きにしない方が効果があるのですが…」
困ったように眉を下げるに、総司は思わずぶはっと拭き出した。
笑いが止まらない総司を、は不思議そうに眺める。
包帯を巻き終えた総司は、呼吸を整え「さすがエルフって言っておこうかな。」と言いながらもまだ笑い足りなそうにしている。
総司が包帯を巻き終えたのを確認し、は上着を着てから「ありがとうございました」と頭を下げる。
「確か太ももとか、足も怪我してたよね?」
総司が笑みを湛えながら問い掛けるが、はニッコリと笑い返す。
「はい、足は両手使って手当てできたので、もう終わりました。」
「本当に?ちょっと見せてごらんよ。」
総司がの足元に手を伸ばす。
「ちょ…止めて下さい!何ですか、この手!!」
「だから、確認してあげようかと。」
「結構です!」
「…総司、
。会合が始る。」
何時の間にか開いた襖の向こうに、斎藤の姿。
「斎藤さん、いつからそこに…!」
「…総司が足を見せろと言っていた辺りからだ。声をかけたのだが、返事がなかったから勝手に開けさせて貰った。」
「嫌だな、一君。それじゃ僕が足を見たいみたいに聞こえるよ。」
「違うのか?」
「うん。僕はちゃんを困らせたかっただけだし。」
「……沖田さん、それ、悪びれずに言う事じゃないです…。」
は溜息を零す。
「それより、早く広間に集まれ。幹部会が始る。」
「あぁ、そんな時間か。じゃぁちゃん、行くよ。」
「はい。」
斎藤、総司の後に続いて広間へと向かい、そこで見た人物の姿に、は目を瞠った。
(───鬼が、何故……。)
広間の入り口に立ちすくみ、呆然と部屋の中央にいる人物を眺める
に、土方が「知り合いか?」と尋ねる。
「いえ…」
は首を横に振り、総司の斜め後ろに控えて座る。
恐らく人間には見えないだろうが、エルフであるの目には額の角が透けて見える。
間違いなく女鬼。
けれど、何故鬼が人の世界へ…。
利用されるか、酷い目にあわされるか、きっとろくな目には遭わない。
色々と考えが頭の中を駆け巡り、一つの可能性に辿りつく。
(…もしかして彼女は、知らないのかも……。)
目の前で繰り広げられている会話が、頭の中へ入って来ない内に、一度彼女を部屋へ戻す事になった様子に気付き、部屋に彼女を連れ戻す役を買って出た。
「あの…」
部屋へと連れ戻す廊下で、彼女が口を開く。
「何処かで、お会いした事ありますか…?」
先ほどの
の態度が気になったのだろう、伺うような目で問い掛けてくる。
「…いいえ、知人と似ていたのでつい見入ってしまいました。不躾な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。」
は男性として、紳士的に振舞う。
「いえっ…あの、私の方こそごめんなさい!ただ、会った事ある方でしたら、私忘れていたって事で、凄く失礼だなって、その…」
縄で拘束されたままの手を胸の前で必死に振り、頬を赤らめる姿は、何とも微笑ましい。
「お気を悪くされていなくて良かった。」
そう言ってが微笑むと、彼女はうっとりとに見入る。
昨晩から彼女が拘束されていた部屋へと辿り付き、中へ通して
より
背の低い彼女と視線の高さを合わせる為に少し屈む。
「申し訳ありませんが、もう暫くここに居て下さい。私の言葉など何の権限もありませんが、貴方の為に出来うる限りの事はしてみます。」
彼女は夢見心地のような表情のまま、「はい」と頷いた。
部屋を出て廊下の角を曲がると、総司が「まるで王子様だ」と揶揄する。
「…脅えて逃げ出そうとしたら、斬るんじゃないですか?」
「うん、そうだね。」
「……絶って欲しくない命だって、あります。」
「それは、あの子が「すいませーん!どなたか、いらっしゃいませんかー?」
総司の言葉を遮るように、彼女が人を呼ぶ。
総司と一緒にいた原田や平助がバタバタと部屋へ入って行くのを見送り、総司が口を開く。
「あの子が、女の子だから?」
「……そういう事にしておいて下さい。」
曖昧に総司の問いに答え、は彼女の部屋へと戻った。