【変貌】
「沖田さん。」
「んー?」
「仕事…しなくていいんですか?」
朝食の片付けを終え、縁側に座りボーっと庭を眺める総司。
はその隣に座り、この後の総司の行動を尋ねる。
「今日1番隊は朝食と買出しの当番だけど、買出しは他の隊士が行ってくれるよ。」
「そうですか…。では、沖田さんのこの後の予定はどうなってるんですか?」
「何?気になるの?」
総司はニヤリと笑う。
「いえ…あの、補佐と言われたので、何を補佐すればいいのか…。特に仕事がないなら、私は近藤さんや土方さんに変若水を見せて頂けるように頼んでみようかと思うのですが…」
の言葉に、総司は「ふーん」と返事をし、「何か難しそうな話しになりそうだし、僕はこの後約束があるから、屯所から出なければ自由にしてていいよ。」と続けた。
「わかりました、ありがとうございます。」と告げて、は総司の元を後にした。
「土方さん、近藤さん。」
廊下の前方を歩く2人を見つけ、は駆け寄る。
「おぉ、君。朝食、とても美味しかったぞ。」
次も期待しているからな、と近藤は微笑み、は「ありがとうございます。」と頭を下げた。
「お2人にお話があるのですが、お時間を頂けませんか?」
の問いかけに、近藤と土方は顔を見合わせる。
「少しなら構わんよ。では、オレの部屋へ行こう。」
「はい!ありがとうございます!!」
2人の後に続き、近藤の部屋へと移動する。
「で?改まって何だ一体。」
正面に近藤、その近藤の斜め前に土方が座り、話しを進める。
「お願いがあります。」
は畳に両手を付き、身を乗り出す。
「変若水を見せて頂きたいのです。」
「…………やっぱり、そうきたか。」
土方の反応に、は微かに首を傾げた。
てっきり叱りつけられる物だと思っていた。もちろん、やすやすと引き下がるつもりもなかったが。
の疑問を感じ取った近藤が眉尻を下げて笑う。
「キミがそう言うだろうって事は、オレもトシもわかっていたよ。」と。
「見てどうすんだ。お前に何かわかるってのか。」
「少なくとも、私の追ってる禁薬が使用されているかどうかはわかります。」
「なら聞くが、その禁薬っつーのは何なんだ。」
「……それは…」
は目を伏せ、返答を躊躇する。
「言えねーのか。」
「…………羅刹化してしまう元凶は、禁薬にある事は間違いないと思います。それ以上は言えません。」
「では君。変若水にキミの追ってる禁薬が使用されていたらどうするつもりかね?」
「それは勿論、回収させて頂きた…「それはできねぇ。」
近藤の問いに答えようとしたの言葉を待たず、土方が口を挟む。
「あれは幕府から直々に頂戴した代物。例えそれに何が入っていようが、手放す訳にゃいかねぇ。」
「…その答えは想像通りです。なので、回収はしません。ただ、成分は調べさせて下さい。」
の申し出に、土方と近藤は顔を見合わせる。
「本当に回収しなくて良いのか?」
「…あまり良くはないのですが、今はそうするのが得策かと思うので。」
変若水に禁薬が使用されているのなら網道を探す必要があるし、使用されていないならば網道に構わずダークエルフを追えばいい。
にはこれからの行動の決め手が必要だった。
「ダメだ、って言ったら諦めてくれんのか?」
「…表面上では。」
の答えに土方は溜息を零す。
「許可が下りなきゃ影でこそこそ探す気か。……いいのか?近藤さん。」
「オレはいいと思うぞ。成分がわかれば、改良する事もできるかもしれんしな。」
近藤の返答を聞き、土方は「だとよ」とに向き直る。
は2人に礼を言い、変若水を管理しているという山南の元へと向かった。
「山南さん、いらっしゃいますか?」
襖の前で声をかけると、中から「はい、どうぞ」との声がしたので、は「失礼します」と襖を開けた。
山南は何か書き物をしていたようで、筆を置いて顔を上げる。
「私に何か御用ですか?」
山南はに正面の席を勧めながら、一見穏やかそうに笑う。
促されたまま山南の向かいに座り、その目をじっと見て口を開いた。
「変若水を見せて下さい。」
一瞬、山南の表情が険しい物となったが、直ぐに表情を建て直し、子供に言い聞かせるような口調で告げる。
「それは、私の判断では決めかねる事ですね。」
まずは近藤君と土方君の許可が必要です、と。
「お2人の許可は頂いてきました。確認して頂いても結構です。」
自分の目を真っ直ぐに見るの態度で、確認の必要はないと悟った山南が眉間に皺を寄せる。
「変若水をどうするおつもりですか?」
「変若水の中に私の追う禁薬が入っているのかどうか、分析させて頂くだけです。」
「では、奪うつもりは…?」
「ありません。」
の言葉に安堵の表情を浮かべた山南は、少しお待ち下さい、と棚の引き出しを開ける。
「これが変若水です。」
は山南に渡された小瓶を受け取り、目の高さに掲げてじっと見る。
深い赤色をした液体。
禁薬を目にした事はないが、この禍々しさは間違いないだろう。
が小瓶の蓋を開けると、山南の静止の声が耳に入ったが、それに構わずに掌に2、3滴乗せた。
山南は
の手にしていた小瓶を奪うが、それには目もくれずに、掌に乗せた液体をじっと見つめ、口を小さく動す。
2、3滴とはいえ、大事な変若水を勝手に使用した事へ苦言を述べようとした山南は、液体を目にして息を呑んだ。
「………これは………」
宙に浮く水滴。
その塊は6つのグループに分かれており、その内の一つである赤黒い色をした水の塊を、が指し示す。
「これが、禁薬です」と。
「…では、これで網道さんとあなたの追うダークエルフの接点は、確実な物となった。と、いう事ですね?」
「はい。」
「そうですか。それで、貴方の追う禁薬とは一体何なんでしょうね?」
「…人が飲むと、羅刹化してしまう物です。」
の返答に山南は「いいえ」と首を横に振る。
「私が聞いているのは効能の事ではありません。その禁薬が何から作られているのか、とお聞きしているのです。」
山南の問いかけに、は「知りません」と答えた。
「本当に?」
山南はににじり寄る。
僅かな変化も見逃すまいと、探るような眼差しを向けて。
山南の姿をぼんやりと見ながら、は思った。
変若水の名を出した時の険しい顔。
奪う気はないと告げた時の安心した顔。
そして、小瓶を手にした時の誇らし気な顔。
(この人は、変若水に取り付かれてしまっているのかもしれない…)と。
「禁薬は郷が代々護って来た物。私が生まれるより遥か以前からあった物です。」
「ですが、それが何かぐらいは伝わっているのではないでしょうか。それが草木や花なのか、動物などの生き物なのか。」
は口を噤み、山南から目を逸らさない。
逸らしたら最後、何を言われ、何をされるのかさえわからない。
それぐらい今の山南は、狂喜に取り付かれている。
山南は変若水の秘密を知りたいという知的好奇心が満たされようとしている事に、恍惚とした表情すら浮かべて、右手を
の頬に添える。
「貴方はとても聡明なお顔立ちをしていらっしゃる。得体の知れない物を追うような、無謀な方には見えません。」
「…その評価はありがたいのですが、買い被りすぎです。」
「そうでしょうか?自分では人を見る目があると思っていたのですが…」
「山南さん、入るよ。」
総司は返事を待たず、襖を開ける。
「………あれぇ?お邪魔でした?」
の頬に触れたまま総司を見る山南に、目を細めて口端を引き上げる。
「…沖田君。返事をする前に開けるのは、無作法だとは思いませんか。」
山南はの頬に触れていた手を引く。
「すいません、急いでたんですよ。隠れなきゃいけなくて。」
それに、と総司は続ける。
「まさか山南さんがちゃんを口説いてるなんて思わなくて。」
「…そのような下世話な捉え方は止めて頂けますか。私は新選組の為を思って、変若水について聞いていたのです。」
「ふーん。まぁいいや。ちゃん、山南さんとの話しは終ったの?」
山南の狂喜を目の当たりにし、固まっていたは総司の言葉に我に返る。
「……はい。」
「そう。じゃぁ一緒にかくれんぼする?」
ニッコリと笑って総司が言った言葉に、は目を瞬かせる。
「かくれんぼ…ですか?」
「うん、そう。人数が足りなくて困ってたんだよね。」
総司は座ったままのの腕を掴み、立ち上がらせて部屋を後にする。
「沖田くん、私の話しはまだ…」
「そうそう、山南さん。」
山南に背を向けた総司は立ち止まり、顔だけ山南に向ける。
「ちゃんは用事ができたから、近藤さんと土方さんに報告しておいて下さいね。」
総司の背中越しに見えた目は、冷たくもあり、悲しそうでもあった。
「…わかりました。」
山南は溜息交じりに苦笑を浮かべた。
「…沖田さん。」
「………何。」
「……ありがとう、ございました。」
総司に腕を引かれたまま、はその背中にお礼を述べた。
「別に。言ったでしょ?かくれんぼの人数が足りないって。」
「……そう、ですね…。でも、ありがとうございました。」
山南の狂喜を目にした際、あまりの衝撃に思考が働かなくなった。
あの時、総司が来なければ山南が何をしたかはわからない。
逃げようと思えば逃げる事はできた。
ただ、ショックだった。
変若水を飲んだ訳ではなく、その存在だけで支配されてしまう事があるなんて。
「…変若水が絡むと、たまにあーなっちゃうんだよね。」
廊下を歩きながら総司がポツリと零す。
寂しそうな声色に、山南のあの状態を総司が良しとしていない事が伝わる。
きっとそれを山南もわかっていて、後ろめたさもあって、先刻解放してくれたのだろう。
「ごめんなさい。」
突然のの謝罪に、総司は足を止めて振り返る。
「どうしてキミが謝るの?」
「郷から禁薬を持ち出されなければ、山南さんは…。」
目を伏せるの顎を上げさせ、総司は片方の口端を上げる。
「僕の補佐なんだから覚えておいて?僕は『もし』とか『だったら』とか、嫌いだから。」
「………わかりました。気をつけます。」
総司なりの気遣いなのだろう、と勝手に解釈し、先を歩く総司に続く。
「おーい、一人連れて来たよー。」
総司が庭で待つ子供達に向かって手を上げた。