【浪漫】


陽の光が微かに地平線を明るくした頃。
総司は薄暗闇の中、気配を絶ち、そっとの部屋の襖に手をかけた。
部屋の中に入り込むと中央に敷かれた布団が目に入り、ゆっくりとした歩調でそれに近づく。

どうやらは入り口に背を向けて寝ているようで、総司のいる場所からは後頭部しか見る事ができず、上から覗き込む。
(うん、寝てる寝てる。)
総司は満足そうに口元の笑みを深め、ゆっくりと布団の横に座る。
(さて。どうしようかな…)
何気なく辺りを見渡し、の頭上に置かれた剣に目を向けた途端、その顔から笑みが消えた。

大概の刀は使いこなす自信があったというのに、抜く事すら適わなかった。
剣が主を選び、その人にしか使えないと言われれば、そういう物なのか、と思えなくもないが、実はあの時、が小細工したのではないかとも思う。
相手はエルフだ。
精霊だの何だのを使えば、自分達が抜こうとしている間に抜けないようにする事だってできそうだ。
それに、もし本当に剣が主を選ぶのなら自分を選べばいいのに、とも思う。

総司は片方の手を床につき、もう片手を剣に伸ばす。
すると、バサッという音と共に、視界が真っ暗になった。


「…おはようございます、沖田さん。」
総司が頭から掛けられた布団を引き剥がすと、敷き布団の反対側に剣を手にしたの姿。
剣は鞘からは抜かれてはいないが、いつでも抜けるように手は柄と鞘に掛けられている。
「おはよう、ちゃん。…にしても、挨拶の前にコレは酷くない?」
総司は自分の膝の上にある布団を手に苦笑を浮かべる。
「沖田さんが気配を絶って近づくからですよ。それで…これは夜襲か何かですか?」
「ううん、違うよ。夜襲でもなければ、夜這いでもない。昨日言い忘れた事があったから。」
「?何でしょう?」
こんな時間に言い忘れた事を言いに来るぐらいだ。よほど大切な事なのだろうとは真剣に問い返した。

「今日、僕と一君が食事当番だから。」
「………沖田さんと斎藤さんが………食事当番……。」
「そう。」
「それが?」とでも言いたげなの表情に、総司はニッコリと笑いかけて続ける。
「僕が食事当番なんだから、補佐であるキミも手伝ってくれるよね?」
「それは構いませんけど…。」
「うん、じゃぁ早く支度してくれる?その格好も悪い眺めじゃないけどね。」
総司は目を細め、心底愉快そうに笑みを深める。

は総司の視線に嫌な予感を覚え、自分の格好に目を落とす。
いつ何が起こるかわからないのでさらしは巻いているが、寝巻きにしている着物のあわせは緩み、咄嗟に布団から抜け出し、剣を抜けるように構えた立膝からは太ももが惜しげもなく披露されている。
は慌てて着物のあわせを直し、その場に正座する。
「あの………お見苦しい物を見せてすいませんでした。」
ほんのり頬を染め、項垂れながら謝るを、総司はじっと眺める。
「…沖田さん。支度をするので部屋から出て頂けますか?」
気まずそうにが口にした言葉を聞いていなかったのか、総司は腕を組んで逆に問い掛けた。
「ねぇ、その着物。」
「はい?」
「それ、一君のじゃない?」
が身に纏うその着物は明らかに男性用の物で、深い灰色のそれは見覚えがある。

「昨日斎藤さんに頂いた物です。斎藤さんには小さくなったから、寝巻きにするといいと言ってくださったので、お言葉に甘えて頂きました。」
「ふーん。」
「それより沖田さん、支度をするので出てください。」
「あぁ、そうだったね。じゃぁ支度が終ったら僕の部屋に来てよね。」
その言葉に「はい」と返事をし、案外すんなり部屋を後にした総司を若干不審に思いつつ、は身支度を整えて総司の部屋に向かった。


総司の部屋の前で声を掛けると、「入っていいよ」との返事があったので、は「失礼します」と襖を開けた。
すると総司が歩み寄って来て、着物を差し出される。
「はい、これ。」
「……え?」
は総司と、差し出された着物を交互に見る。
「一君から寝巻きにって、着物貰ったんでしょ?」
「はい。」
「僕もいらなくなった着物、あげようと思って。」
「……でも、私寝巻きにしちゃいますよ?」
「うん、いいよ。」
「…ありがとう、ございます。」

突然総司がお古の着物をくれると言い出したのを不思議に思いながら、でも着ないのならいいのかな、と思いながらは着物を受け取った。
が受け取ったのを見て、総司はニンマリと笑う。
「これで夜は僕に包まれてるみたいに寝れるよ。」と。
その言葉に、はピタリと動きを止めた。
「あの、これ返しま…「ダメだよ。一回受け取ったら返品はきかないからね。」
「………。」
は手にした着物をジッと見る。
「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいんじゃない?一君に貰ったのは平気で使ってるんだし。」
「…斎藤さんは沖田さんみたいに変なこと言いませんから。」
「ま、一君は言わないだろうけどね。男の浪漫だから。」
「浪漫…ですか?」
ちゃんはわからなくていいんだよ。」


総司の言葉に「はぁ」と曖昧な返事をすると、の部屋を間に挟んだ隣の部屋の襖が開き、斎藤が姿を現す。
「一君、おはよう。」
「斎藤さん、おはようございます。」
「……おはよう。総司、わかっているだろうが、今日は食事当番だからな。」
「わかってるって。だからこの時間に起きてるんじゃない。」
じゃ、ちゃん、それ部屋に置いたら調理場においでね、と言い残し、総司は斎藤と調理場へ向かう。


「一君、いつの間にちゃんに着物なんてあげたの?」
調理場へ向かいながら、隣を歩く斎藤に問い掛ける。
「それは…」
「何?もしかして昨日手出しちゃったりして?」
「…そ、そのような事はない。」
本当に?と疑いの眼差しを向ける総司に、斎藤は溜息ながらに理由を口にした。
「昨晩、部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、彼女が中庭にいた。」
「中庭に?」
「あぁ。抜け出すのではないかと思い、様子を伺っていると、屯所の塀に飛び乗った。」
「あぁ…あれか。」
前日の昼間、宿代を払いに外に出た際に、が家の屋根にヒラリと飛び乗ったのを思い出し、総司は苦々しく呟いた。

「まずいと思い、名を呼べば素直に戻って来た。だが、何をするつもりかと問えば、大きな問題を口にした。」
「大きな問題?」
「その…………風呂に入りたい、と………。」
「…………。」
斎藤の口にした言葉に、総司はポカーンと口を開ける。

「どうやら先日まで世話になっていた宿に行けば、風呂ぐらい貸してくれるだろうと思ったようだ。」
「……それで?」
「一人で外に出す訳にはいかないし、総司の許可もない。やむを得ず、オレが風呂の見張りに立ち、入らせた。」
「それは…ご苦労様。」
「あぁ。その後、部屋に戻ったはいいが、総司が今日食事当番という事を伝えていないのではないかと思い、彼女の部屋に向かった。」
朝起きて総司が部屋におらず、勝手に動き回ったら困るからな、と。

「襖越しに声を掛けたら、中から襖が開いた。」
斎藤の言葉に、総司はうん、と相槌を打つが、斎藤は視線を彷徨わせ、落ち着きなく続けた。
「…彼女の格好を見て、着物を渡した。」
「格好?」
総司の問いかけに、斎藤はぐっと押し黙る。
「何?肝心なところ端折ったよね?言えないような格好だったの?」
興味むき出しの総司の顔に、斎藤は困ったように顔を歪める。
「いや………ただ、その………下を履いていなかった。」
「下って…あの下に履いてるやつ?」
斎藤はぎこちなく頷く。

「どうやら寝巻きも宿にあるのを使用していたらしく、元からそのつもりだったから持っていないという。」
斎藤の言葉に、総司は「へー」と口元を緩める。
「その姿のまま寝ようとしていたようだが、女子が肌を露出するのは良くない。だから小さくなって着なくなった着物を渡した。」
それだけだ、他意はない、と斎藤は調理場に降り立つ。
「ふーん………じゃぁ、あの白い太もも、むき出しだったんだね。あーぁ、一君が着物あげちゃうから、僕はちょっとしか見えなかったじゃない。」
総司が悪戯っぽく言うと、背後から「斎藤さんのお陰で助かりました」と声がする。
振り返るとが胸の前で腕を組み、じっとりと総司を睨んでいる。

「沖田さん!斎藤さんは恩人ですよ?変な言い方しないでください!」
「お風呂に入りたかったんなら僕に言えば良かったじゃない。」
の抗議を流し、総司はヘラリと笑う。
「沖田さんに話したら『入れば』って突き放すか、『一緒に入ってあげるよ』とか、とんでもない事言いそうですもん。」
「あれ?わかる?」
悪びれる様子のない総司に、と斎藤は盛大な溜息を零す。


「さ、気を取り直して食事の支度しましょう!」
気合いを入れなおしたの言葉に、斎藤は「そうだな。」と同意した。
「それはいいけど、何作るの?」
「…決まってないんですか?」
「うん。ある物で作れる物を作るんだよ。」
「じゃぁ…とりあえずある物を見せて下さい。」

調理場にある物をあらかた見て回り、食事の内容を決める。
「大根とわかめで汁物を作って、お握りを作って大根の葉で巻いて…あとはメザシを焼けばいいですかね?」
「うん、いいんじゃない?」
「オレは米を炊こう。」
「じゃぁ僕はメザシ焼こうかな。」
「私は汁物ですね。ご飯が炊けたら手が空いた人からお握り作っていきましょう。あ、斎藤さん、お米のとぎ汁は捨てないで下さいね。」
「?何故だ?」
「とぎ汁は栄養がいっぱいあるので、捨てるのは勿体無いんですよ?大根を煮る時に使うとエグ味を取れるし、庭に巻くと植物も枯れにくくなるし、お掃除にも使えるんです。」
の説明に、斎藤と総司は感心した表情を浮かべる。
「キミも一応女の子だったんだねぇ。」
「…何ですか、一応って。」
「いや、刀ばっかり振り回してたのかなって。」
「それは…否定できませんけど。」
は不本意そうに口を尖らせる。
のその姿に総司は笑い、斎藤も口元を緩めた。
「じゃ、始めますか。」
総司の言葉を合図に、3人はそれぞれの分担作業に取り掛かった。

「…何だか今日の朝飯はやたら旨そうだな…」
近藤が腹の虫を鳴かせながら、食い入るように目の前の膳を見る。
「今日の当番は誰だ?」
「僕と一君とちゃんで作ったんですよ。」
近藤の問いに、総司は嬉しそうに答える。
「そうか、凄く旨そうだ。朝飯がしっかりしてるってのはいいな。一日の始りだからな!こう、一日頑張るぞって気になる。なぁトシ。」
「ん?あぁ、そうだな。」
「良かったね、ちゃん。こんなに喜んでるんだから、昨日の脱走未遂も許してくれるかもよ?」
「お…沖田さん!!」
「あぁ?脱走未遂だと?」
土方の目が釣りあがる。

「土方さん、そんなの後にして、とりあえず食おうぜ!」
「そうそう、腹が減ってちゃ頭も回らないって。」
永倉、平助が目の前の食事に今にも飛びつきそうな勢いだ。
自分の食事を護りたいは、食にあまり感心の無さそうな総司と斎藤の間に入れて貰った。
「グルグルギュ〜。」
ダメだ、と話しを続けようとした土方の耳に、近藤の腹の虫が抗議する。
「トシ、話しは後に…」
苦笑いを浮かべる近藤に、土方は「わーったよ」と溜息を零した。

「で。脱走未遂ってのは何の事だ。」
食後。
は屯所に連れて来られた時と同様、幹部の集まる部屋の中央に座っていた。
「あの…お風呂に入りたかったので、宿に借りに行こうかと…。」
「…何でそう勝手な真似をしようとするんだ。今回は斎藤が止めたから良かったものの、脱走した後にお前がいないのが発覚したらどうすんだ!ウチは『局ヲ脱スルヲ不許』、無断でいなくなったら脱退したと判断し、追って斬られても文句は言えねぇぞ。」
「うぅ…すいません。」
「トシ、それぐらいにしてやれ。気付いてやれなかった我々にも落ち度はある。」
「…だからアンタは甘いって言ってんだ。」
「それより、今後彼女がそんな真似をしなくてもいいように策を練らなければな。」
近藤は腕を組み、「う〜ん」と唸る。

「昨晩そうだったように、遅い時間帯であれば風呂に来る隊士は少ないはずです。それを利用できないでしょうか。」
斎藤が提案する。
「少ないってだけで、いねぇって訳じゃねぇからなぁ。」
土方が考え込む。

「飯の時間なら誰も行かないんじゃねぇの?」
永倉が提案するが、「食事はできれば皆さんと一緒がいいです」とは口にした。
「何で?自分の分取られなくていいんじゃないの?」
総司が尋ねると、は「皆で食べた方が美味しいし、楽しいから」と呟いた。
「食事の時間は無しだな。」
の言葉に胸を打たれた近藤が却下した。


「仕方ない。暫くコイツが女だって知ってるこの面子で手分けして見張りに立つ事になるが、遅い時間に入ってくれ。他の案は考えておく。」
「皆さんお忙しいですし、やっぱり宿に行った方がいいんじゃないでしょうか?」
「あぁ?いいんだよ、こいつ等は無駄に体力余ってんだから、見張りぐらいさせときゃ。…変な気ぃ使うな。」
最後に土方が微かに目元を緩めたのを見て、は少しだけ安堵した。

本当は黙って宿に行こうとする前に、誰かに相談しようかと考えた。
だが自分が女だと知っているのは幹部の人間だけ。
忙しく動き回っているし、大変だろうと相談するのを止めたのだが、その気遣いがダメだと土方は言ったのだ。
もう少し踏み込んで来いと言われたようで、少し嬉しかった。


「皆さん、忙しいとは思いますが、宜しくお願いします。」
は幹部の人達の方に向き直り、深々とお辞儀をする。

「誰も入れなきゃいいんだろ?お安い御用だ!」
「任せておけって。」
「女の子だもんな。そりゃ風呂に入りたいだろうからな。」
「脱走しようとされるぐらいなら、見張りの方がましだからな。」
永倉、平助、原田、斎藤が口々に了解の旨を告げる。

「オレも構わない。」
「私もしっかり見張らせて頂きます。」
山崎、島田も頷く。

「何だったら見張りなんて言わずに、一緒に入ってあげるよ?」
ニッコリ笑う総司に、が口を開こうとしたその時、斎藤が一足先に声を発した。
「総司。一緒に入ってしまったら、隊士が入ろうとしても止められないだろう。」と。
「斎藤くん、そういう問題ではないと思うのですが…。」
山南がゆっくりとした口調で斎藤の指摘が可笑しい事を諭し、はそれに激しく頷く。
ただ、屯所のお父さん的存在の近藤だけが「嫁入り前の女の子と一緒に風呂なんて、イカン!イカンぞ、総司!!」と慌てていた。