【宿代】
朝食の部屋に向かいながら、「さすがにお腹空いたね。朝練もしたし、道場の修理もしたし。」と総司が溜息を零す。朝食食べる前に一仕事やらせるなんて、土方さんは人使いが荒すぎる、と。
「沖田さん。」
「んー?」
「朝食の後、外に出てきてもいいですか?」
「外に?」
「はい。」
総司は歩みを止め、不適な笑みを浮かべながらじっとを見る。
「何しに?外のお仲間と悪巧み?」
「いえ…宿代を払いに行かないといけないので…。宿代を払ってない人が新選組にいる、なんて事になったら新選組の評判を落としてしまいますし。」
「そう。ならいいよ。」
「ありがとうございます。」
案外あっさりと許可が下りて、はペコリと頭を下げる。
「ボクも行くけどね。」
頭を上げると、総司の満面の笑みがあった。
戦場のような朝食でどっと疲れたが、宿代は払いに行かなければならない。
新参者のの朝食も遠慮なく狙われ(主に平助と永倉に)、攻防に必死だった。
「…沖田さん。」
「何?」
「毎回食事のたびにあーなるんですか?」
「んー…そうだね。今日は近藤さんや土方さんがいたから、おとなしい方かな。」
「……私新選組で生き残れるでしょうか…食事的に。」
の溜息ながらの言葉に、総司はぶはっと噴出した。
「食事的に…!!」
肩を震わせ、口元を手で覆い、身体をくの字に曲げて必死に耐えている。
「沖田さん!私は真剣なんです!!新選組に置いて頂けるのはありがたいと思います。でも食事のたびにあんなバタバタやってたんじゃ、食べた気もしないし、ゆっくり味わえないじゃないですか!!」
「うん…うん…そ、だね…」
の必死な訴えも届かず、総司は肩を震わせ続ける。
はムッとし、2、3歩走るとトンッと地面を蹴り、ヒラリと近場の家の屋根の上に飛び乗る。
「ちょ…ちゃん!?降りておいで。」
あまりの身軽さに、総司は驚愕しつつ、自分の手の届かない場所に行かれるのは困るので、降りて来るよう促す。
「知りません。」
胸の前で腕を組み、フイッと顔を背ける。
「いい子だから。」
は何かを言おうと口を開きかけ、視線の先にあるのぼりを見て止めた。そして口元に笑みを浮かべて総司に向き直る。
「沖田さん。」
「何?」
「白玉が食べたいです。」
「…は?」
「ですから、白玉。」
はのぼりの出ている甘味屋を指で指し、総司はその指の示す方を見る。
「……へぇ。僕にたかろうっての?」
「安いもんじゃないですか?私をこのまま逃がす事に比べたら。」
沖田は盛大な溜息を零す。
「わかった。わかったから降りておいで?」
沖田の返答に満足気に笑い、は沖田の前にヒラリと降り立った。
「ねぇ。エルフってそんなに身軽なの?」
「知りませんでしたか?」
呆れたように問い掛ける沖田を、は悪戯っぽく見上げる。
「外に出るたびにたかられたんじゃ、ボクの懐が危ないよ。」
「外に出るたび、と言うより、屯所からもいつでも抜け出せるって事ですけどね。」
「…厄介すぎて何かもう面倒になってきた。斬っちゃおうかな。」
「実戦でしたら精霊の力もバンバン使いますけどね。」
お互いに黒い笑みを浮かべ、フフフと笑い合う。
「とりあえず白玉食べましょう。話はそれからです。」
歩き出すに、総司も続く。
「ご注文は?」
柔らかい笑みで迎えてくれたのは、店の主人らしき中年の男性。
「私は白玉にしますけど…沖田さんはどうしますか?」
「ボクも白玉で。」
「じゃぁ白玉2つ。」
店主は「はい、白玉2つですね」と笑顔で厨房へと入って行く。
「甘いもの、好きなの?」
「はい!京に着いてから初めてこのお店の白玉を食べたんですけど、もう絶品で!沖田さんは食べた事あります?」
「このお店のはないなぁ。ここの桜餅は美味しかったけど。」
「桜餅ですか?いいなぁ、このお店のなら美味しそう。」
「桜餅は春になれば出してるから、覗いて見て下さいね。」
2人の会話が聞こえたのか、店主が白玉を2人の前に置きながら笑う。
「是非覗かせて頂きます!」
力強く言うに、店主は「腕を振るいますよ」とニッコリ笑って奥へと引っ込んだ。
「では、沖田さん。いただきます。」
「うん、どうぞ。」
匙で白玉と餡子を掬い上げ、口に運ぶと自然と口元が綻ぶ。
「随分幸せそうだね?」
総司が茶化しても、は「はい」と素直に頷く。
「沖田さんも食べてみて下さい。凄く美味しいんですよ。」
「…本当だ、美味しいね。」
総司の評価に満足気に笑い、自分の白玉を口へと運んだ。
「で、さっきの『屯所をいつでも抜け出せる』ってやつだけどさ。」
「はい。」
「抜け出せるのに、出て行かなかったのは何でなの?」
表面上は純粋な疑問。
だが、総司の目の奥には、新選組内部の何かを探ろうとしているのではないかという警戒が垣間見える。
「昨日も言いましたが、網道さんやダークエルフの居場所を知りたいからです。」
「でも、それなら今朝みたいに鳥だの猫だのに聞いた方が早いんじゃない?」
総司の問いかけに、は首を横に振る。
「勿論今までもダークエルフについて聞いていました。ただ、この京で見かけたという以外は手がかりがなくて…。昨日新選組の皆さんに薬の話、網道さんの話を聞いたのが一番信憑性があって、最もダークエルフに近い情報なんじゃないかと思っているので、今出て行くのは賢明じゃないと思ってます。」
「じゃぁ、もう一つ聞くよ。…キミは人を斬れる?」
口元に薄っすら笑みを浮かべながら、けれど目の奥は酷く真剣に総司が問う。
「一番隊にいる以上、過激な任務が多い。ボク達は近藤さんの為に、命じられるままに人を斬る。」
キミにそれができる?と、問い掛ける。「できやしない」とでもいうように。
「そうですね…無闇に人を斬るのは本意ではありません。」
の答えに、総司は嘲笑を浮かべた。「やっぱり」と。
「でも、お世話になるからには、役に立ちたいと思いますし、恩返しはします。」
「恩返し?」
「近藤さんは、私をエルフだと信じてくださったし、本来なら外部の者に話してはいけないような情報まで話してくださいました。」
は手にしていた匙を置き、俯いて静かに言葉を紡ぐ。
「…これは、私の問題なので昨日は話さなかったのですが…私の追ってるダークエルフを捕らえなければ、郷が危ないんです。」
「つまり、キミの故郷が?」
総司の問いかけに、は「はい」と頷く。
「こう見えて郷を背負ってるので、何としてもダークエルフを捕らえなければならないんです。その情報を提供してくれた近藤さんを始めとする新選組の皆さんには、しっかり恩返しさせて頂きます。皆さんが新選組として戦う理由には劣りますけど、必要とあれば人も斬ります。」
「…キミって面白いね。」
「……面白い、ですか?」
真面目な話をしたのに、面白いという総司の感想に、は眉を顰める。
「そんな細っこい腕でまぁまぁ強いし、甘ちゃんかと思えば必要とあれば人を斬るって言うし。気は強そうだし、食事の事で真剣に悩んでるし、甘味驕らせるし。自由気ままでいいご身分かと思えば、妙に訳アリっぽいし。」
総司の感想に、は「まぁ…」と視線を泳がせる。
「うん、ボクも信じてあげるよ。」
「?」
「ウチで刀を振る理由はボク達にはとうてい及ばないけど、キミが背負ってる物の為に新選組の力になりたいって言うなら、ボクも信じてあげる。」
新しい玩具を手にした子供のように、好奇心むき出しに総司は笑う。
「…はい!改めて、宜しくお願いします!!」
はペコリと頭を下げた。
「あら、アンタ。戻らないと思ったら男連れで戻るなんて、随分と色のある話しだねぇ。」
が宿泊していた宿に着くと、恰幅の良い女将さんが景気良く笑う。
「違うんですよ、女将さん。そんな色のある話しじゃないんです。」
が引き攣りながら言うも、「恥かしがるこたぁないよ。なかなかの色男だしね!」と意に介さない。
「…客をアンタ呼ばわり…。」
その勢いに、さすがの総司も面を食らう。
「あの、暫くは新選組にご厄介になる事になったので、今までの宿代を払いに…」
新選組、と聞き女将は豪快な笑いをピタリと止め、総司をジッと見て青ざめる。
「ま、まぁ私とした事が失礼を。宿代の清算ですね、少々お待ちを。」
慌てて店の奥に入り、帳簿をめくる。
女将が計算してるのを待ちながら、総司が口を開く。
「せっかくだから、泊まる?」
「何がせっかくなのかわかりませんし、お断りします。」
笑顔で問い掛ける総司に、も笑顔で断る。
「やだなぁ、ボクがわざわざ出向いたんだから、それぐらいの見返りあってもいいんじゃない?」
「許可は貰いましたけど、一緒に来て欲しい、なんて頼んでませんよね、私。」
「心細いだろうからついてきてあげたんだよ。そのお礼を身体で払って貰おうかなって。」
「島原でも吉原でも行けばいいんですよ、沖田さんの色情魔。」
2人は黒くフフフと笑いあう。
「あの…」
「はい、幾らですか?」
「これになります。」
が差し出された紙に書かれた金額を払おうと財布を手にすると、女将が「でも」と口を開く。
「もう一泊ぐらいされたらいかがです?」
総司の方をチラチラと見ながら言う辺り、新選組に少しでも気に入られようとしているのが垣間見える。
は斜め後ろに立つ沖田がニヤリと笑ったのを肌で感じた。
「じゃぁ、お言葉に甘え…「いえ、もう結構なので。」
女将の提案を受け入れようとした総司の鳩尾に右肘を入れ、むせる総司を無視しながら、
は笑顔で請求金額を全額払った。
宿を後にすると、背後から「ありがとうございました、またどうぞ〜。」と女将の声が聞こえたが、は「二度と行かない!」と強く心に決めた。